本年総括

さて、取り敢ず部屋の片付けは何とか終了することが出来た。肩がぶっ壊れた次は腰までピチュってしまひ、暫く腰痛ベルトのお世話になりさうであるが、まあそれは良しとする。

今年一年を総括すれば、もう完全に「同人」の一言に尽きるであらう。今まで細々と、一部分だけでのんびり関はってきた同人に、まさかこの一年でどっぷりつかるとは私ですら予想出来なかった。

以下は去年の総括を読みながら、今年の出来事などを振り返ってみたい。酒呑んでるのでいつもの如くグダグダになるとは思ふが、読みたい方はどうぞ。今年に入ってうちの雑記を読み出した人は、「東方」が見出しに出てくるまで飛ばした方が良いと思ひます。

「闇黒日記」復活とさとみかん停止

紆余曲折あって、闇黒日記は元の鞘に収まることとなった。「義」による嫌がらせ行為は今も続いてゐるやうだが、どんな状況であれ、今の姿勢が一番良いのではないかと言ふのが私なりの思ひである。

闇黒日記を店仕舞ひするの記で投げかけられた問題は、結局今年一年を経ても解決する兆しは見られなかった。むしろ、同人界隈に深く関はるやうになって、余計にこの問題は深刻さを増してゐるのではないかと言ふ気さへ感じられた。
といふか、ある日突然神主がこれと同じ様な話を書いて、東方を「店仕舞ひ」する可能性だって無いわけではないのである。神主は尋常ではない懐の持ち主であるし、そこらのはてな村民を一山集めても敵はない程のスルー力の持ち主であるが、さういふ個々人の「寛大さ」に依拠するこの界隈の現状は、決して理想ではないと思ふ。挙げ句に、古参だにわかだニコ厨だと、お前ら東方の何を見てるんだと疑問に思ふやうな主張まで出てくる始末……。
話がそれた。ともあれ、闇黒日記はめでたく復活を遂げた。その一方で、さとみかんがCGIの高負荷や諸々の要因で停止し、現在もなほ再開されてゐない。ありみかさとみさんも仕事や家庭で忙しいのだらう。去年産まれたゆきなたんが元気で、今年の正月に書かれた記事の通りであれば、それで十分。

CSSコミュニティ消滅と「文章構造から見るHTML」の終焉

前項に引き続いてであるが、かつての「CSSコミュニティ」……所謂「某方面」は、今年をもってほぼ消滅したと言って間違ひではないだらうと思ふ。
HTML5だのXHTML2だのと言はれてゐるが、昨今の議論を見るに、HTMLの議題は完全に「機能」に移ってしまったと言って良いと思ふ。さう、HTML3.xから4.xに移る際に「『表示』から『文書構造』」へと視点が移ったやうに、HTML4.xからHTML5.xへの移り変りは「『文書構造』から『機能』」への本質的転換であると私は思ってゐる。
W3Cは何年も前からセマンティックウェブ(意味的Web)をWebの目標として掲げてをり、その視点で見れば、表示が構造に包括されたやうに、構造が機能に包括され、最終的に機能が意味に包括される流れは一貫してゐるやうに思ふ。
逆に言へば、私のやうに、文書構造からHTMLを捉へ、シンプルで、互換性を何よりも重視すると言ふ立場は、今日のWeb技術から見れば傍流の議論なのである。正しいHTMLで書かれてさへゐれば変換方法は幾らでもあるのだから、規格自身の直接互換性に拘るのは「時代遅れ」なのである。
HTMLはこれから、BlogツールやWikiツールによってTCP/IPであるとかHTTPであるやうに、単純にツール間で通信する際のプロトコルの一部としてブラックボックス化していくだらう。
その恩恵は、私もじわじわと実感してゐる。一昔前のやうに屑HTMLを出力するツールもあるが、まあ取り敢ず許せるくらゐのツールも増えてきた。何より、屑HTMLを書く人を説得するより、便利なツールを紹介する方がずっと楽なのだ。World Wide Webにおけるエントロピーを考へれば、確実にこちらの方が利に適ってゐる。
まともなHTMLを書くと言ふのは、ある意味伝統工芸のやうなものになりつつある。ツール作者がいちはう一通りの仕様を知ってゐれば、取り敢ずは困らない物が出来る。何とも虚しい気もするが、さういふ事なのだらう。
だからこそ、最早旧来のCSSコミュニティの役割は終了したのだと私は思ふ。後は技術屋・設計屋の分野であり、私のやうな「素人」が議論する分野ではない。私にとってのHTMLの議論は、シンプルで合理的なHTML文書作成法入門:基礎編で終了したのである。

FFTの十年祭とコミュニティの崩壊

今年の第一四半期はFFT一色であった。十周年祭はいよいよ佳境を迎へ、オフ会もたくさんやったし、オンリー即売会もやった。楽しかった。それなのに、その中心となったコミュニティは崩壊したのである。あれだけグダグダな末路を辿って。

東方にはまってから私と付き合ひを持った方々から見れば、私のこの態度は淡泊で不思議に思はれるかも知れない。幻想板の管理人が変るだけであれだけ大騒ぎした私なのだから、もっと事細かに経緯をまとめ、事実を求めた記事を書いてゐてもをかしくはない。といふか、まあ、私が今の東方界隈くらゐに「部外者」であれば、さうしてゐたかも知れない。
だが、それをするには今のFFT界隈は狭すぎるし、何より私は色々な人と親密になりすぎた。縁は糸であるし、鎖でもある。
ただ、誰が悪いわけでもないのだと思ふ。私は少なくともさう思ふ。本当に悪意のある人なら、もっと色んな手があったはずなのだから。だから、誰が、何が悪かったのかは判らない。歯車が噛み合はなかっただけかも知れない。こんな末路を回避出来る道もあったかも知れない。ただ、全ては事後であり、結果論である。
たまたま私は祭の終結とともに東方に傾注するやうになったため、「亡我郷」の思ひはあまり感じずには済んだ。でもそれは、哀しいことだと思ふ。

FFTといふ幻想

FFTの名を冠した作品は色々登場したが、私にとってFFTは、最初のPS版のFFTが一番だと思ってゐる。それは何故かいつも不思議に思ってゐたが、東方にはまってからやっと朧気に理解することが出来た。
私がはまったのは、FFTが持つ世界観なのだ。腐敗した貴族と、それに立場は違へど共に抗ふラムザディリータ。影で進む陰謀。それとは並行して進む個々人の想ひを込めたサブイベント。そして儲け話を読み解けば、鮮やかに広がる、戦争に暗く沈みながらも日々の暮らしを楽しく生きるイヴァリースの民の(突っ込み溢れる)輝き。さういふ世界観に私は惚れたのである。
しかし、続篇であるFFT-Aは世界よりも「人」に着目したストーリーだった。そもそも世界観は継承されてゐない。FFTPSP版に至っては、何ら旧来の世界観との統合も持たぬままに新システムや新ストーリーが混入されて、私は戸惑ふ一方だった。
確かに、単なるシステムとして見れば面白い。対戦が出来るFFTは、私も昔から待ち望んでゐた機能ではある。あのシステムは、言はば「ファンサービス」的なものだった。でも、その一つの機能が、ああも今まであった世界観を壊す物だとは思はなかった。FFTの良いところは、今までのFFにはない、ストーリーと世界観の繋がりの深さがあったと思ふ*1。なるほど、神主がスペカプラクティクスの導入にあそこまで躊躇した理由が、まさにそれだったのだ。
それは古参ファンの我儘なのかも知れない。いや、我儘なのだらう。
まあ、別に本篇から離れたところで、FFT自体は好きだ。続篇が私に受けなかったからと言って、「原点」が失われることはない。今は東方に注力してゐるものの、今まで私がFFTで書きためてきたものは、いつか必ず実を結ばせたいと思ってゐる。それが夏こみトレが、来年の冬こみトレになるかは分らないが、さういふ意思だけは持ち続けたい。それが私の、PS版FFTに対する愛なのだから。

東方との出会ひ

去年の今頃は、確かひぐらしをずっとプレイしてゐただらうか。それが一段落して、FFTも取り敢ず一段落して、さうして始めたのが東方である。新参も新参。歴で言へば1年も経ってゐないのである。その癖に偉さうな事ばかり書いて、実は赤面の至りなのである。書きながら、もっと含蓄深い人に「この⑨が」と突っ込まれさうで怖かった。何で「例大祭に参加するための心得〜」なんて書いたのだらうと、今でも不思議に思ふ。
だから、東方幻想板の昔のスレや、旧幻想掲示板の話や、東方Wikiの知らない記述を根掘り葉掘り読み返して、必死に古参に追ひつこうとした。今では、取り敢ず、永夜新参が騒がれた頃(例大祭2ぐらゐ)まで一部は振り返ることが出来た。
ただ、私と同じ新参に対して、私と同じ事をしろとは言はない。私はどちらかといへば特殊な事例だと思ふ。第2回最萌トーナメントでのゆゆ様事件の経緯を知る必要は無いし、そもそも最萌えトーナメント自体知らなくても良いのである。
新参は新参なりに、古参は古参なりに東方を楽しめば良い。最近幻想入りした神様方を見てゐると、さういふ風に思へるのである。
結局妖々夢のHardをクリアしたのが最高で、後は全部Ex止まり。魔理沙に至ってはNormalもクリア出来てゐないものもある*2 来年は全Hardクリアを目標にしよう。

同人と東方

東方との出会ひは、私の同人観も大きく変へることになった。いや、元々漠然と持ってゐたものを、よりハッキリと自覚させられたといふべきだらう。
自分に出来ることは何だらうとずっと考へた一年だった。少しでも理想的な一般参加者にならうと知識を集めたこともさうだし、色付き配置図を作り出したこともその一環だった。
同人と商業の境界は、これからもっと議論されていく事だらう。東方がここまで大きく流行したことも、何かの象徴であると思ふ。ここまで大きくなったからには、私よりも賢い人たちがもっと正確に東方の現状や、同人と商業のあり方について述べてくれると期待してゐる。そこに異論が有れば、私も積極的に突っ込んでいきたいと思ふ。

新しい出会ひと新しい挑戦

新しい界隈に入って、新しい出会ひも出来た。ケビンMcさんや、まいさん(id:maisan)、mokiさん、有我悟(id:arugha_satoru)さんやTaryun(id:Taryun)さんや、こちらから名乗ることはなくても色々な人と出会ってきた。
そして来年は、いよいよ一つのサークルを背負って活動をしていくことになった。まだまだ不安一杯で、もしかしたら色々失敗があるかも知れない。

それでも、自分なりに出来る限りの表現をしたいし、読まれた方々にもそれを感じていただけたらと想ふ。これまで以上に色々な人と関はりを持てると期待してゐる。人との繋がりは良いものだと思ふ。例へ今年のFFTのやうに、それが足枷になるやうな事態が起ったとしても、私は色々な人と縁を持ちたい。それが今の私を支へてゐるのだから。
今はただ、それだけを願ひたい。

総括

そんなことを書いてゐれば、あと5分で年明けである。
何だか暗い話ばかりしてきたやうに思ふが、私としては今年一年は、今までにないくらゐ楽しい一年だった。嗚呼、同人だけで一体幾ら使っただらうか。考へるだけでも恐ろしいが、それ以上に楽しいのである。
つまり残念なことも多かったが、幸も多き一年であった。もう少し個人的な話をすれば、「信仰」について、今まで以上に考へる事が出来たと思ふ。まあ、それはあくまで個人的な話。
来年も恐らく東方一色な一年になるだらう。出来ればFFTの話ももう少ししたいが、そこまで余力があるかどうかは分らない。あったら良いなあ、とだけ書いておく。



今、『明日ハレの日、ケの昨日』*3が流れてゐる。さうだよなぁと思ひつつ、酒を呑む。明日がハレの日で、昨日がケの日なら、一体今日は何の日だらう。ハレとケの境界。大晦日は、さういふ日なのだらう。
PCのファイルの整理は結局終らなかったが、まあ、部屋は片付いたから、歳神は無事にお迎へられるだらう。式の事は式に任せれば良い。初日の出を浴びて、それから後々の事は考へやう。来年のことを想へば鬼が笑ふ。きっとこみトレだの例大祭だので第一四半期は死にさうになるだらうが、来年のことは来年考へれば良いのである。

最後に

やっぱりグダグダになってしまったが、まあ、それはそれで私らしい。
それでは皆様、良いお年を。そして来年一年が、全ての人に幸多き一年でありますように。

*1:ちなみに、私がFF6を好きなのは、あの暗い中で希望を求めるあの世界観そのものが好きだったからだ。

*2:地霊殿永夜抄の一部。

*3:東方風神録 〜 Mountain of Faith. エクストラステージ