東方は今尚同人である1.1

「2」を振るほどの記事ではないので「1.1」

例の東方同人の話だけど、id:inuinu_for_Writer氏の記事とそのコメント欄は、理念の話と現実の話がごっちゃになり、加へて祭厨まで沸いて最早手の付けられない状況になってゐる。
まあ、それぞれが「べき論」を持ってゐると言ふのは解るけど、現実に発生してゐる問題に対しては何らかの対処が必要なのであって、むしろさういふ方向に話を持っていかなければならないのに、ここまで議論が空転したらお話にならない*1

議論をする際は「相手の態度」「相手の書き方」「相手の思想」(結論ではない)そのものを否定してはならない。その基本が守られないのは、匿名であるが故かな、とも思ふ。冷静に指摘してゐる方もをられるのだけど……。


さて、議論は追ひ切れなかったが、今のところの感想。もちろんまとまってない。

基本的に、inuinu_for_Writer氏が指摘した東方界隈が抱へる問題点そのものは間違ってゐないと思ふ。理念はあれど、それが機能してゐない面はある。

そろそろ用法が混乱してきたので、ここでひとつ定義をしておく。あくまでも私のいふ商業化は『市場経済による淘汰がある状態』を指す。淘汰があるからこそ、「売れるために表現したいことが出来ない」といふ弊害を引き起こす。それに対して同人の反商業主義的とは、「売れても売れなくても、あらゆる表現を受け入れる」といふ姿勢を指してゐる。

それを踏まえて同人とインディーズの違ひは、最終的に「成功すること」を目的としてゐるかどうかではないかと思ふ。先にも言った通り、究極的には同人は「売れなくても良い」。もちろん、売れれば嬉しいし、良いものを作るための道筋は売れるものを作るための道筋とある程度似通ってゐる。ただ、それでなほ「自己満足」で完結しても良いのが同人だと思ってゐる*2 その結果儲かっても、私は別に構はないと思ふ。

だから、arugha_satoru氏が指摘した

神主の音楽CDやゲームCDが一般の大手サークルより安く抑えた単価になっている為に、東方ジャンルでは1000円超えたアルバムを頒布しにくい問題なんてのも出来ちゃいましたね。良心的な価格設定が悪い訳ではないけれど、神主の影響力の大きさが界隈の空気に強い影響を与えていることは間違いない。*3

と言ふ意見状況は本当は間違ってゐると思ふ。だが、同人の「基本水準」みたいなものが出来て、それが年々上昇してゐる今の現状は、正直淘汰を産む状況になりつつあると言はざるを得ない。コピ本でもピコ手でも、好きな作家の本が欲しい、といふ人はあまり多くはゐないらしい*4

今の東方界隈は同人の枠内だといふ話は前回した。年々サークル数は増えてゐるが、主催側の懸命な努力によって表現の場は守られてゐる。だが、コミケのやうな枠がほぼ限界ギリギリのオールジャンルイベントでは、東方界隈が膨らむことによって他ジャンルや自ジャンル内の弱小サークルを圧迫する可能性は十分考へられる。


それらの問題を踏まえて、私が思ふのは、でもその問題は商業化しても解決しないといふこと。或いは、自分の好きなようにやりたいと思ってももはや通用しない。とinuinu_for_Writer氏は言ふが、それなら同人である意味がない(商業の縮小コピーとなる)といふこと。

スペース料金も参加費も倍増して、売り上げからも一部徴収して、警備や根回し*5にたくさんお金を使って、問題のありさうなものは全部排除して……確かにそれは盤石だし、さういふイベントがあっても良いと思ふ。尤も、通販もあり、同人誌の販売網も拡大してゐる昨今、そのやうなイベントに参加する価値があるのかは疑はしい。

それに商業化したとすれば、ますます弱小サークルは淘汰の憂き目に遭ふ。ネットに移行すれば良いぢゃないと思はれるかも知れないが、自分の手で、一つの作品を完成させ、現品として残ることには格別の感動がある*6 その感動は、出来ればこれから同人をやる人たちにも味はって欲しい。別に誰もが褒められるだけで満足していたかも知れない。でもそれだけでは満足できなくなってきたからイベントに参加したりしているわけではないし、さういふのはまだ少数派だと思ふ。目には付くが。

或いは、これは最早商業レベルだろってサークルも、ある程度あった方が良い面もある。同人誌即売会はある意味「祭」*7のやうなもので、スタッフは運営委員、サークルは屋台だと例へよう。

運営員は自治会からのボランティア。屋台も自治会や地元企業の慈善事業で出すことが多い。だが規模が大きくなると、専門の的屋が賑やかしに力を発揮する。大手サークルは、客寄せ効果を持ち、弱小サークルにも多くの人が手を取る機会を与へる。先の例大祭で初完売を達成したサークルも多かったやうだ。

もっと規模が大きくなれば、警備会社に警備を依頼することもある。変な組織の干渉に遭ふこともある。場合によっては条例改正が必要な場合もあるだらう。規模が大きくなれば、それだけ課題も大きくなる。しかし、それでも祭は祭の本質を失ってはならない。例へさう考へない人が大半になっても、"存在理由"を持ち続けなければイベントは続かない。世界最大の同人誌即売会であるコミケが30年以上も続けてこられたのは、"存在理由"を失はなかったからではないだらうか。「それ無くても良いぢゃん」に反論出来なくなったとき、あらゆる物は簡単に幻想入りする。

商業化や儲けに極端なほど拒絶的な人が多いのは、それによってイベントが崩壊しかねないことを危惧するからだと思ふ。「崩壊したらそこまで」といふのは結構だが、それで困るのは、inuinu_for_Writer氏ではなく今まで同人活動を楽しんできた人だ*8


繰り返すが、問題は問題として認めよう。極端に言へば本家以外が全部商業化してしまっても、東方は同人作品なのだ。だが東方界隈の少なからぬサークルが、これからも同人であり続けることを望んでゐる以上、その解決は同人の理念を持ちつつ行ふのが筋ではないか。

コミケも、今まさにその妥協点を模索してゐると思ふ。例によって指摘されてゐる企業スペース然り。大手サークルの優先当選然り*9 これからもっと大きな舵取りに迫られる可能性もある。東方界隈と同じ状況だらう。

これから東方を含めた同人界隈がどうなっていくのか。それは私には解らない。でも私は今の同人界隈・東方界隈が好きだから*10、なるべく今のままでもやっていけるやうに、一般参加者の混乱や戸惑ひを消していけるやうに、出来ることを考へていくつもりである。

追記

少し今回は東方界隈と同人界隈全体を同一視しすぎた面がある。影響が出てゐると言ふのは間違ひないが、それでも平和なジャンルもたくさんあるし、まあ、どちらかと言へばそれが主軸だよな。反省。

*1:まあ、挑発的な書き方をしたのだから、ある程度は織り込み済だとは思ふけど。

*2:あくまでも作品についてはといふ但し書きは付く。

*3:同人に限って何故嫌儲的な思考が堂々とまかり通るのか。 - 真理の砂漠〜いちぎょうばかにっき

*4:FFTオンリーの時、買ったのが私含めて3人なんてこともあったんだとか。

*5:近隣の住民に慰謝料出して徹夜を認めさせたりね。

*6:その分、売れ残ると辛いだらうと思ふ。自分は合同誌に出したことしかないので、売れ残りの辛さは解らない。

*7:祭と言ふと騒いでも良いみたいな印象を持たれるので、「儀式」或いは「セレモニー」と言っても良い

*8:それが極端であるが故に話をややこしくしてゐる面も否めないが。

*9:明言はされてゐないが。

*10:「昔は良かった」といふ意見も分るけどね。