同じ本を複数冊購入する動機

パッと思ひつくのは、山岸氏自身や野嵜氏の言ふやうに

  • 讀書用(自分が何度も讀んで楽しむ用)
  • 保存用(本を痛めぬためのコレクション・バックアップ用)
  • 宣伝用(親子姉弟友達に渡して讀ませる用。別名『布教用』)

の三つ。ここで共通してゐるのは、買った本そのものに対する明確な用途があるといふこと。山岸氏が言ひたいのは、さういふ用途を考へずに複数・大量に購入する人の気が知れない、といふことだらうと思ふ。

私が思ふには、恐らく三つのパターンがあるのではないだらうか。

ひとつは、コレクターとしての独占欲といふもの。たけくまメモ:コレクションは病気であるで紹介されてゐる、たとえば世界に2冊しか現存を確認されてない本を「2冊とも」手に入れて、一冊を密かに焼却処分にし、「これでこの本を持っているのは世界で俺一人だ!」と考えてエクスタシーに達するやうな心境のプチ発現版ではないかと。はた迷惑には違ひないが、まあ心理としては理解できる。

もう一つは、所謂『投げ銭』や『Web拍手』などと同じ感覚ではないだらうか。手っ取り早く作者を評價・応援する手段として、同じ本を何冊も購入する。単純に作者の収入は増えるし、出版業も商売なので、次回は同じ作者の本をより多めに発刊、あるいは仕入れてくれることが期待できる。長期的に考へれば全てのファンに利する*1発想と思ふ。

最後は、単純に懸賞などがあるときの応募権の確保。多分申し込む分だけ申し込んでしまったら古本屋行きだらう。

一つ目の理由はともかく、二つ目三つ目の理由なら、作者は損をしないし、流通的にはプラスなので別に私は構はない(私は全ての本を新刊で買ってゐるわけではないので、中古に流れてくれるだけでも十分有難い。まあ、某書みたいにブックオフの棚二列三列も占領されるとさすがに閉口するが)

ただでさへ漫画雑誌の作者はコミックスが賣れてゐないと、原稿料だけではとても生活できないらしいので、それを応援するのはむしろ大いに結構なことだと思ふわけである。

……ただ、ライトノベルは重刷をあまり出さないといふ話も聞くし、気象精霊記みたいに出版社の都合で重刷してくれないなどといふふざけた例もあるので、こればかりはどうにもかうにも……。


ちなみに、久樹は重複購入してしまったときはスキャナで電子化してゐます。アレは本の分解を伴ふために中々踏ん切りが付かないので。


全然関係ないが、私たちは新古書店でのコミックスの売買に反対します。なんて宣言がいつの間にか出てゐた模様。昔から『賣れなければ切り棄てられるプロの世界』と言はれてゐた漫画家も保身の主張をするやうになったかと思ってゐたら、「21世紀のコミック作家の著作権を守る会」緊急アピールについてと真っ向から反対する意見も公開されてゐた。

*1:初版に拘る人は嫌がるだらうし、買った分をどう保存するのかは知らないが