「記憶する幻想郷」読書感想文6

ちょっとした事ですっかり間が空いてしまいました。こんな酒飲みながら適当な戯言を述べる記事にえらく期待されたりして恐縮です。まあ、今日が最終回……かしら?いや、終わってませんwww(というか、これでは終わらせられない……


幻想郷縁起をひとしきり読み終えた霊夢さん。私の記事は特に問題ないと思う。絵も上手だしね。

でも、実際に求聞史紀に収録された幻想郷縁起の霊夢の絵は正面からのスケッチです。つまり、霊夢に気づかれることなく描かれたとは思えません。やっぱり、我々が見ている縁起は後日再版されたものなんでしょうねぇ……。それか、阿求が出版前に差し替えたか。

阿求、霊夢達を見送りつつ曰く私が九代目であるうちにまたいつでも来てください。稗田は常に好奇心を歓迎します。
霊夢達、答えて曰くええ、じゃな

何故だろう。私はここで少し胸に込み上げるものを感じてしまった。稗田は常に好奇心を探求している。これだけ不思議に満ちている幻想郷でなお、阿求は不思議に飢え渇望しているのである。命短し恋せよ乙女。神々が恋した幻想郷での一生は、本当に楽しいものなんだろうなあと思う。

霊夢達を見送った阿求。既に日はとっぷりと暮れている。満月だけが闇を明るく照らす夜、鼻歌交じりに縁側を歩く阿求。

私が転生を初めて千二百年ほど経った。
まさか人間と妖怪がなれ合う時代が来るとは思わなかったが、それもまた一つの未来か。
妖怪におそわれる危険が減った今、幻想郷縁起は妖怪の広告のようなものになった。それもまた一つの理想か。
転生の負担からか、今の身体は長くは保たないだろう。
次の生までの期間を考えると、寿命の永い者と知り合いになったほうが都合がよい。
とすると、人間よりは妖怪を選ぶべきなのだろうか……
私も幻想郷と同じく、ずいぶん変わってしまったな。
まさか妖怪と人間との架け橋を用意する役目をすることになるとは。

一番阿求の本音が現れているシーン。夜闇の中でひっそりと振り返る阿求の表情がとても印象的です。私は常々、幻想郷の原点は蓬莱人形収録の『永遠の巫女』であると思っているのですが、このシーンにはそれと同じ、『夜』の匂いが漂っています。

古い古い時代から、幻想郷を記録し続けてきた阿求。もちろん、その立場には、紫や映姫といった、幻想郷の根幹を成す立場の人間の思惑もあっての事があると思います。紫は自分の都合に合わせて記録を改竄し、映姫はそれを認めている三者は切っても切り離せない、悪く言えば「共犯」の関係にあると私は思います。

そうなると、私は前回引用した映姫様の台詞を思い出さずにはいられません。事実を書く事によって、事実は変わるのです。それは、例えば私が色付き配置図で○○の島が少ない、とか、レポートでこんな事件があった、という話でも同じ事です。阿求は、事実を変える覚悟で幻想郷縁起を書いている。だからこそ、真実である事に固執しないのです。今では慧音ととても近しい立場なのでしょう。

私は前の感想で、阿求が紫を尊敬していると言った風な感想を書きました。阿求が紫を尊敬しているのであれば、取り敢ず紫に対して肯定的な書き方をしているのは矛楯がない。事実、博麗大結界が貼られてからの幻想郷は、思いの外上手くいっているというのが実情でしょう。

よりメタ的に言うならば、それが神主が用意した幻想郷という舞台です。現在幻想郷に在住しているほとんどの人妖は、現在の幻想郷を肯定する形で存在している。逆に言えば、それを肯定出来ない存在は、おそらく幻想郷を去ったか、何もすることもなく無為に還ってしまったかのどちらかでしょう。それって、とても残酷な話ですが、今の東方を取り巻く界隈と同じ事なんでしょうね。

幻想郷は全てを受け入れる残酷な世界でありながら、変容していく幻想郷を受け入れられない者には冷酷な世界です。受け入れられない者は死なず、ただ去るのみ。


最近思うのですが、東方に関する考察って、ある意味法学に近しいものがあるなと。
法律もね、少し調べると、特に刑法なんかは明らかにをかしい話があっても、それを何とか理論立たせようとする理屈が存在する。

もちろん、それを細々と理論立たせて考える事も楽しいですよ。私も良くやりますしね。でも、東方には別に保護するべき法益は存在しない。ある事実が暴かれたからと言って誰も損をしない(逆に言へば、損をしてはいけない)もっと自由に考えて良いと私は思うわけです。

別に一部の設定を無視したからと言っていいじゃありませんか。俺魔理沙上等。何を気にする必要があるのか。むしろ何故気にする必要があるのか。


そこを考えると、幻想郷縁起と言うのは、むしろ「変えて欲しい」から存在するのではないか、という逆説的な説も成り立つのではないかと私は思います。事実を書けば事実は変わる、ということは、即ち事実を書くと言う事は、事実を変えるために書く、ということに他ならないからです。

阿求はまだそこまで自覚していないのかも知れませんが、幻想郷縁起が公開された事によって、幻想郷は少なからず変わったと思います。メタ的な事も含めて。

詰まるところそれこそが、阿求が転生する意義なのではないかと私は思ふわけです。もちろん、阿求を娘と公言して憚らない久樹の事ですから、娘にはただただ幸せになって欲しいと思うわけですが、それでも、稗田には――御阿礼の子には課せられた使命がある。

記憶する幻想郷の阿求は、本当に楽しそうでした。暗い過去を背負いつつ、それでものんびりまったり生きる幻想郷の人妖と、何ら変はりは無かったように思います。ちょうど、早苗が最初に入ってきた頃より、だんだん子供染みてきたように、幻想郷という場所は、くだらない理屈を捨てて、イドを解放させる場であるように私は思います。


……ところでですね、まあ、これはあまり言いたくはなかったのですが、もう呑んでますので、その勢いで書いてしまいましょう。

幻想郷縁起をよく読むと、東方で今まで出てきたキャラクタは、ただ唯一の例外を残して、みんな延命の余地を残しています。霖之助妖夢はハーフだから元々長生きする。咲夜さんは時間を操る事が出来る。魔理沙は魔法使いに転生する一歩手前。早苗さんは現人神として既に信仰を集めているから、死後亡霊が神霊に成り代わる可能性が高い。

しかし、唯一、博麗霊夢。彼女だけは、長生きするための道が残されていない。博麗の巫女は何代も変遷を繰り返してきた。それは、儚月抄のとある人物の証言からも明らかになっています。

博麗の巫女は、幻想郷の礎です。大結界を維持するためにも、永遠の楽園そのものを維持するためにも、必要な存在です。その彼女だけが、永遠に生きる事を許されない。御阿礼の子ですら、ほぼ無制限に魂の転生が許されているというのに。果たして、本当に薄幸なのはどちらなのでしょう?

……。

なんだかとても暗い話になってしまいましたが、ひとつ、希望はあります。それは神主が、霊夢達が成長しつつも年は取っていないと明言している事。

霊夢とかは成長するのかという質問に対して)一応設定上は成長します。成長しないのは大人の都合的な(笑)。成長してもなぁ・・・成長したら「もう弾幕なんていってらんねえよ」みたいな事言いそうな性格なんで(笑)。もう子供じゃないしな〜みたいなことになっちゃうのはちょっと避けたいかなと。

永遠の楽園である事と、童祭である事。それだけでも東方は十分だと私は思います。或いは、そのために紫が幻想郷を顕界でも冥界でもある世界(ネクロファンタジア)にしたというのはご都合主義過ぎるでしょうか。



……ええと、なんだか全然明後日の方向に暴走してしまいましたが、ちょっとこのままではあんまりなので、次回辺りまとめたいと思います。最終回? 何それ美味しいの? 私の阿求への慈愛に最終などあるものか!!*1

*1:でも、愛だ愛だって叫んでる人ほど怪しいものはないよねぇ。静かにまったり愛でれば良いと思いますよ。