「記憶する幻想郷」読書感想文5

昨日はなんと2ページどころか1ページも進まないという事態になりましたが、まあ、他にも原稿とか色々あって死にそうなので、これくらいまったりいきましょう。というところで、もはや考察と言うより妄想乙な酒呑み戯書になってますが、続きます。


さて、本編に入る前に早速話を脱線させますが、幻想郷縁起と同じく歴史書として存在が確認されている本に「幻想郷風土記」というものがあります。幻想郷縁起「参考文献」の項に「博麗神社社務所編」と付記されているように、この本は博麗神社が所有していたようです。
実際の内容は東方妖々夢のストーリーで読むことが出来ますが、後に神主はファンからの問い合わせメールに対して次のように述べています。

マニュアルバックストーリー、13代巫女の追記。これはやはり霊夢、ということなのでしょうか?

長くなったので結論から言うと、多分違います。風土記の裏のメッセージは以下の通り。

この風土記はかなり曲者です。誰かに聴かせる訳でもなく、誰が何時、何処で見ているのかさっぱり分りません。
あれは幻想郷に住む人間達の間にある写本です。ストーリーと同じ時期に読んだとは限りません。内容はある意味、人間が認識している幻想郷の常識です。
ただ、マニュアルでは省略されていますが、この風土記には続きがあって、そこには色んな出来事が書き込まれています。だた、そこに書かれている物は霊夢達の話だけではありません。幻想郷で起こった色んな出来事が記述されています。

しかしこの写本、困ったことに最初のオリジナルが現存するのか、あったとしても何処にあるのか分らないのです。写しも色んな人の手で勝手に写しししまい、しかも勝手に新しい逸話も追加してしまいます(追記の書き方を見て分るとおり、かなり最近になって誰かの手によって付け加えられています。)
つまり、写し手の意思が介入したものになっているのです。勿論、導入部だけではなく内容に関しても全て写本であるため、誤字脱字、または勝手な解釈に拠る追記、削除によって、どんどん内容が変化しています。このような本は、真実を伝える能力は全くといって良いほど、ありません。

つまり、巫女の手による追記がある写本を見て想像(ここでは予想)出来ることは、 「この記に書かれた内容は必ずしも信用できるものではない」という事だけです。質問の内容からずれてしまいましたが、霊夢は13代目博麗の巫女なのか?という質問は、上記理由から予想出来る通り、やはり違う可能性の方が高いのです。なぜなら、追記する人間も多ければ追記自体も次の誰かの手によって写されるため、追記が多すぎるからです。
なお、私がこの不明瞭ともいえる風土記から分って欲しいと思ったことは、「本当の幻想郷の姿は、長い間生きている(存在している)者達しか知らない」ということです。もう今では、人間の中にそこまで詳しい人はいません。

この内容が公開されたのが2004年の3月。阿求が初めて登場する幺樂団の歴史1が公開されたのが2006年5月ですから、この時点で稗田家の存在は公にしたくなかったのでしょう*1
詰まるところ、人間にとって歴史というのは寓話か神話程度の価値しかなかったということです。では、真実を歴史として遺すことが御阿礼の子に課せられた使命なのか、というとそれもまた違ってきます。


本編に戻って、1000年以上にわたって歴史を編纂し続けたという阿求。それに対して霊夢は驚きます。

霊夢
…え? あんた千年以上も生きてるの?
阿求
まさか、普通の人間はそんなに生きられませんよ。私はまだ10年とちょっとしか生きていません。九代目としては
魔理沙
何か引っ掛かる言い方だな。まあ良いけど
阿求
話を元に戻しますが、私は妖怪の特徴や対処法を広く伝えることで、妖怪の天下だった幻想郷に人間の復権を期待しているのです。
霊夢
そんなことしたら一部の妖怪は黙ってなんか居ないんじゃない? 絶対キーキー言ってくる奴が居るよ?
阿求
いたとしてもいいんですよ。大結界が出来てからは人間の復権ってのももはや建前でしかないのです。幻想郷縁起は、人間の好奇心を満たす程度の物で十分なんです。それが、真実と異なろうとも。

うーむ。こんな重大な台詞が求聞史紀に収録されていない辺り、神主の底意地の悪さというか、ンフフって感じですね。阿求のなんとなく悟ったような表情が印象的です。
幻想郷縁起のあり方が変化したというのは「独白」の項でも触れられています。歴史書の編纂から始まり、妖怪対策特集という需要に応え、そして今は人と妖怪の架け橋としての役割を自覚しつつある(後述) 何故真実に固執しないのかというのは、ある意味阿求の上司でもある映姫様の説教が最もわかりやすく表しているでしょう。

本当に真実を書く事は不可能な事です。何故なら、そこには記事を読む人が居るという事実を含む事が出来ないからです。
記事を書けば、事実が変わる。事実が変わったのを見て記事を変えれば、また事実が変わる。
貴方は、事件を誘発する覚悟で記事を書かなければいけない!*2

閻魔様に「冤罪は無いのか」と聞いたところ、「あります」と返答を戴きました。
つまり瓜田李下であれ、との事だそうです。*3

この台詞はそっくりそのまま御阿礼の子に適用出来ます。だから御阿礼の子は真実を遺すことに固執しない。
実に複雑な立場です。こういう考え方の切り替えが出来るのは、御阿礼の子が短命(≒若いうちに転生している)からこそなのかなあとも。人間年取ったら中々自分の考えや立場を変えるのが難しくなりますからねぇ。記憶がリセットされるという設定はしばしば悲劇的にとらえられがちですが、御阿礼の子にとって重要な意味を持つと私は思います*4

さてはて、そんな状況の中、阿求は何を思うのか。次ぐらいで最終回かしらってなところです。

*1:単に神主が考えてなかったという説は却下の方向で。

*2:東方花映塚 射命丸文 Final

*3:東方文花帖 Stage10-6 審判「ギルティ・オワ・ノットギルティ」より

*4:ということは、キャラ絵担当ZUNの寿命が短いのm(ry