心見ること

古来「試みる」といふ言葉は「心見る」と書いたさうだ。

試みとは、何かを成さうとする際に行ふ営みである。だから心見を放棄してしまったハルトマンの妖怪少女は、何かを成さうとする意志を放棄したことに他ならず、故にこそ目的を失った行動――無意識の力を手に入れることが出来たのだ。

その一方で、さとりがこいしに対してせめてもの慰めと自分のペットを分け与えた事もまた、一つの心見であったと思ふ。その結果さとりの瞳に何が映ったのかは不明だが、ペットを飼ふといふ目的が生まれたこいしは、確かに何かを試みようと言ふ意志が芽生え始めてゐたやうに見える。

それは、495年もの歳月を幽閉といふ断絶で過ごさざるを得なかったWin版最初の姉妹に比ぶれば、余程前向きで、廃獄の『今』を、そして東方の『今』を象徴する姉妹なのではないかと思ふのである。