儚月抄叩きの雑感
漫画版の今回の展開にお怒りの人が多いやうで。私的には注連縄云々の蘊蓄とゆかりんニヤリ顔が見れただけでも十分500円の価値があったと思ふのだけど*1
儚月抄にしても例大祭にしても、或いは東方本篇にしても。規模と期待度が結果(充実度)に比例すると無邪気に信じてゐる人が多いのかなーとか思った。若いのかも知れない。実際若齢化が進んでゐるし。
むかーし神主が香霖堂始めるときに、こんな発言を残してゐる。
実際、東方の無意味なまったりを楽しめる様になるには、18歳どころかもっと上の年齢な気もしなくも無いですが^^ *2
まぁ、18禁より18禁ですし(笑)
大体、あんなまったり異常世界は、かなり屈折した大人じゃないと楽しめないですよ^^;
元々が幅を狭くしているので、18禁とか余り関係ないです。*3
例大祭は非公式なので別だが、儚月抄の展開は神主的にはそれほど予定と乖離してゐない*4と私は睨んでゐる。
実際、いつもの東方としてみたら十分面白い。本篇だって最後は「お前らあの展開は何だったんだよ!」って感じの終り方だし、この程度で怒ってゐるやうなら秘封倶楽部はもっと楽しめない筈だ。
だから、恐らくいつものゲームや、香霖堂や三月精みたいな立ち位置だったら、別にここまで叩かれる事はなかったと思ふ。ストーリーとしての面白さを制作者側・読者側双方から求められたのは、後にも先にも儚月抄が初だった。
一迅社が期待を煽るやうな宣伝をし過ぎてしまったのも、その傾向を助長してしまひ、やり場のない怒りが昨今の叩きに繋がってゐるのではないか*5 *6
さう考へると、前に神主が二次創作の宣伝方法について注意を出したのも、その辺りに理由があるのかもしれない。「困る」といふより「止めといた方が良いよ」といふ忠告の意味で。
ひぐらしが同人の商業化であるとしたら、儚月抄は同人と商業の『折り合ひ』を考へる上で貴重な事例となるだらう。
東方の最大の魅力は、ジャンルの可搬性にあります。
三妖精は今のところ漫画でしか出てきていませんが、ゲームだろうが音楽だろうが小説だろうが自由に顔を出し、そして違和感なく話が進んでいくでしょう。
ここが東方特有の最も面白いところ。
何故なら、東方はストーリーを軸に構成されているのではなく、ただそこにある世界で構成されているからです。
その上にキャラやストーリーや音楽が乗っているのが東方です。
早く、三妖精達が他の作品の歯車の一つになるのを楽しみにしています(何故私が)。*7
多分、伏線回収すらしないんぢゃないかな。むしろ、地霊殿の八咫烏やヤマメみたいに、いつ張ったか忘れたやうな頃にひょっこり顔を出したら面白いなー、と。