文化祭に顔を出してきた

たまには日記らしいことを書く。
今日は母校の文化祭だったので、3年ぶりに顔を出してきた。学校といふのは、基本的に「変らない」場であると思ふ。特に私の母校は教員の異動が殆ど無いため、ともすれば自分が在校生ではなく卒業生であるといふ意識を忘れてしまひさうになる。

だが、変らないものはない。3年といふサイクルを延々と繰り返し続けながらも、少しづつ蓄積していく変化が段々と見てとれる様になり、なるほど、学校といふシステムは卒業してからの方が見えてくるものが多いのだなと思った。

同級生の女子が二人ほどきてゐたが、人間化粧すれば殆ど別人なので、名前を呼ばれない限り気付かない。一人は身重であり、或いは変ってゐないのは自分くらゐかとも思はされる。といふか、何で私はこんなに変らないのだらう。

話だけでも変へるが、学校といふところは、実のところ「不安」が支配してゐる場だと思ふ。「危機感」と言っても良い。繰り返される試験や行事は、その不安を増長させる方向で作用する。何故なら、不安があるからこそ、何かに一所懸命打ち込み、成長することが出来るからだ。安定した状況下では、安定を崩す虞のある行動を何より避けようとしてしまひ、それが成長を妨げる。

だが、そのことに気付く人は少ない。気付いたとしても、それで何かに打ち込める人はさうさうゐない。社会に出てゐる私達ですらさうであるのだから、無理もない。

私の目下の不安は、来年のこみトレにちゃんと新刊が出せるかどうかで*1、その不安が今の私を突き動かしてゐる。ダラダラと目標を設けずにここ2年を過ごした事を、今更ながら恥ぢた。学生の頃より創作意欲が落ちたなとは思ってゐたが、それは単に何も出さなくて良いといふ状況に甘んじてゐただけなのだ。これからは自分で目標を作り、その目標に対する不安を糧にして、成長していかなければならない。

久々に母校の空気を吸って、そんなことを感じた次第である。

*1:まあ、その前に「落ちないか」があるのだが。ちなみに、仕事上の不安もたくさんあるので、今のところ特に問題なし。