不信が不信を呼ぶ医療現場の現状の感想
それが擦り傷でも動脈出血でも、とにかくまずはガーゼで覆って、外から見える血を隠すこと。 バックボードとかネックカラーとか、血で汚れた道具を可能な限り速く外して、 雰囲気「治療されてる」感覚を、一刻も早く演出すること。
みんなが興奮して、現場をコントロールできなくなる事態を避けるためには、もしかしたら もっとも最初に後回しにされるべきなのは、患者さんの病気それ自体なのかもしれない。
男塾に出てきた王大人の治療手技、とにかく見える傷口に包帯ぐるぐるに巻いて、 「治療完了」を宣言するやりかたには、たぶん一面の真実を認めないといけない。
本質的に医療といふのは、患者のみでなくその取り巻きに対しても少なからぬ影響を及ぼす。従って、取り巻きに対する精神安定として殆ど意味のない措置をアピールするのは、ある意味『治療』といっても良いと思ふ*1 患者は死に遺族は鬱に、となったら目も当てられない。
一方気になったのだが、救急隊と医師との不信の話。
救急隊は、一刻も早く「誰か」に患者さん渡したい。本当のこと話すと、とくにそれがお酒飲んでるだとか、 傷だらけで血まみれだとか、そういう情報を正直に話すと、今の時代、どこの施設も「無理です」なんて 返事が返ってくる。だから「本当のこと」を話せない。
救急隊が「嘘をつく」ことが前提になってしまうと、受けるほうもまた、嘘をつかざるを得ない。当直医は極限まで無能化して、たとえ「擦り傷です」なんていわれたところで、「私無能だから擦り傷分かりません」なんて。
うちみたいな小さな医療圏ですらこうなんだから、もっと厳しい地域では、とうの昔に信頼の輪が破綻してて、送るほうも、受けるほうも、きっと疑心暗鬼がすごいんだろうなと思う。
コメントでは「救急隊酷い」一色になってゐるが、救急隊側のみの問題ではないだらう。「先に嘘をつかれたのは我々です」と言はれさうである。嘘をついた救急隊はすぐにバレるが、嘘をついた病院は簡単には判らない。
あと、救急隊といふのは消防吏員といふ地方一般公務員であり、医師といふのは普通の民間人であるわけだが、彼らの間には交流会とか意見交換会とか慰労会といった、「ある程度本音を言ひ合へる場」はないのだらうか。裁判みたいな「形式に基づき、組織を背負って感情をぶつけ合ふ場」は主張と本音との差違によるストレスが大き過ぎるのではないだらうか*2
「忙しくてそんな暇ないよ」といふのであれば、それあいつまで経っても現状が良くなるわけがないし、「民間と公務員が云々」と言ひ出すのなら制度に根本的な瑕疵があると思った。
また、かういった問題に対して「医師数の拡充」が本当に最善の解決策なのかは、司法試験合格者急増によって弁護士に就職難が生じてゐる状況を見ると、やや疑問に思ふ。こちらは弁護士の都市部偏在や裁判官・検察官希望者とのバランスに問題があるわけだが、医師にも似たやうな状況があるまいか。