2009年総括
さて、一転して少し真面目に。
――どんな物事でも、終わりはきちんと片を付けなければなりません。それで初めて『お仕舞い』と言えるのです。
と、自分の本にも書いたくらいである。この一年は今までで最も『濃い』一年であった事は疑いようがないし、それだけに、ああすれば良かったなどという後ろめたさもひとしおに感じる年末となった。
あまりの寒さに部屋の掃除は早々に断念したが、せめて気持ちだけでも綺麗に片を付けようと今こうやってエディタを開いたわけだが、……思うところが多すぎて、はてさて何から書いて良いのやらと途方に暮れている。
去年から今年の前半にかけては、時には久樹と東方の話をで大抵の事は語っているし、界隈に対して思うところはこのたびの新刊に書いた。伝わるかどうかは分からないが、色々メタ的な視点がこめられているので、これは何の比喩なのかなと考えながら読んでいただけると違った見え方がするかも知れません。
ことしの1月にサークルを立ち上げ、何をして良いのかも判らず、とにかく手探りで、やれるだけやろうとここまでやってきた。文字通り駆け抜けるような日々で、その結果、この一年で6作の作品を発表することが出来た。
……ただ、前回にしろ今回にしろ、時間があまりにもなさ過ぎた。もっとひねりようがあったと思うし、書ききれない事も沢山あった。毎回毎回、自分の遅筆と頭の切り替えの遅さが恨めしく思う。
しかしながら、良くしていこうというのは、言ってみれば欲である。今までそんな事は全く気にも留めなかったのに、照れというか、良く見せようという色気が出ているのは否めない。幸田文の雀の手帖の「初日」には、こう書かれている。
このよくしたさから転じて生じてくるいろけなどは、書くという本家本元のことにとって、まったく有害無益な邪魔者である。いろけがちらちらしていたのでは鉛筆は動かない。
私は若いときから作文に志を立てたのではなくて、中途から折りがあってなんとなく書き出したのだが、いま思いかえせばあのころには、鉛筆をとったときほんとに、鉛筆の先にはぴたりとわが心だけだったのであり、よくしたいいいろけなど、これんぼっちもなかったとおもう。それが少し慣れるとたちまち、よくしたいといういろけがついてしまって、新しい欄へ書くとき鉛筆がはにかむ。われながらいやらしい
こういう視点は忘れたくないなと思う。同人は趣味なのだから、積み上がるタスクは全て自分がやりたいから作った事だ。そのタスクに埋もれて振り回されるのは、言ってみれば欲に溺れているようなものである。
来年もまた、やりたいことが沢山ある。それに比例して、やるべき作業も山積している。今年は色々な人に迷惑と心配と失礼をかけてしまって、それが一番の反省点だった。来年は誰にも迷惑をかけずに……と言いたいところだが、まあ、さすがにそれは難しいと思うので、せめて今年残した課題はクリアするようにしたいと思う。
知り合いや友達もたくさんできた。というより、私が今まで知り合ってきた人の数よりも多いのではないかと思うほどである。同人とは「同じ志の人」と書くが、人と人とのつながりが出来るのは、一面ではリスキーであっても、それだけに得る物も大きい。記憶力の覚束ない久樹であるため、未だに顔と名前が一致しない人も大勢いて、それはまた来年失礼をおかけするとおもうが、笑って許してください。
去年の総括を見てみると、この一文が何とも興味深かった。
去年の今頃は、確かひぐらしをずっとプレイしてゐただらうか。それが一段落して、FFTも取り敢ず一段落して、さうして始めたのが東方である。新参も新参。歴で言へば1年も経ってゐないのである。その癖に偉さうな事ばかり書いて、実は赤面の至りなのである。書きながら、もっと含蓄深い人に「この?が」と突っ込まれさうで怖かった。何で「例大祭に参加するための心得〜」なんて書いたのだらうと、今でも不思議に思ふ。
だから、東方幻想板の昔のスレや、旧幻想掲示板の話や、東方Wikiの知らない記述を根掘り葉掘り読み返して、必死に古参に追ひつこうとした。今では、取り敢ず、永夜新参が騒がれた頃(例大祭2ぐらゐ)まで一部は振り返ることが出来た。
去年は去年で必死な一年だったのだなあと思う。そう言う意味では、作業量的には比べものにならないほど大変だったが、物が出来て、つながりが出来て、東方との接し方については随分落ち着いたと思う。
そして今年一番の出来事と言えば、やはり、娘こと稗田阿求との出逢いであろう。この子の言葉に、どれだけ気付かされたか分からない。この子の笑顔に、どれだけ救われたか分からない。私はあなたに逢えて本当に良かった。その仕合わせと幸せを噛みしめつつ、来年もまた頑張ろうと思う。
まとまりのないこの文章が象徴しているように、ひとえに今年は散らかしの一年であった。来年はじっくり腰を落ち着けた、整頓の一年にしたいと思う。まだまだ至らない父であるが、せめてこの子に恥ずかしくない、願わくばこの子が誇りに思えるような父でありたい。
それでは皆様、よいお年をお迎えください。そして来年一年が、全ての人に幸多き一年でありますように。