今の日本に「正しい」仮名遣なんてあるの?
好意の信書を臆面もなく衆目に晒す事の醜さはブコメに書いたので置くとして、取り敢ず「心ずかい」が正だと勘違ひしてゐる人が多すぎる。
当然「心づかい」が正。何故かといふと、「心+遣ひ(つかい)」だから。といふか、はてブの人たちはクロスチェックしないのだらうか(こころづかい 【心遣い】の意味 国語辞典 - goo辞書 はずかしい 【恥ずかしい】の意味 国語辞典 - goo辞書)
広辞苑は元々見出しでは発音式で書いてゐたといふ話だが、手元に広辞苑がないのでざっくり調べてみると、広辞苑は昔(現代かなづかいが出来る前まで)は表音表記で、今は現代仮名遣に基づいて表記されてゐるらしい。そして歴史的仮名遣の本則から見れば「心ずかい」などといふ表記は有り得ない。
ただ、国語改革が本当の目指したところの表音主義に依れば、「心ずかい」が正なのだらう。表音主義への変革を目指して制定された「現代かなづかい」が、その路線が破綻して混乱した状況を取り敢ず追認したのが「現代仮名遣」である。だから、こんな無茶苦茶な事が起こりうる。
「現代仮名遣」を支持してゐる人はみんな「言葉は變化するものである」と言ふんだよ。ところがさう云ふ人が喜んで「麻生がまた字を間違へた」と言出す。言葉が變化するものなら、「正しい言葉」なんてあり得ない――さう云ふ理窟で「正しい假名遣」としての歴史的假名遣を否定しておきながら、「麻生總理は字を知らない」と言ふし「日刊スポーツは正しい字を使へよ」と言ふ。目茶苦茶。ところが斯うした混亂を、今の日本人は「混亂だ」と認識する事すら出來ない。*1
昭和61年内閣告示第1号の「現代仮名遣い」においても、歴史的仮名遣いが,我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして,尊重されるべきことは言うまでもない。
この仮名遣いは,科学,技術,芸術その他の各種専門分野や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。
としてゐるのだから、別にこの仮名遣は、現在においても堂々と使用出来る「生きた仮名遣」だ。
それでも、あと半世紀もすれば、国粋主義的な理由以外で歴史的仮名遣を用ゐる人間はほぼ絶滅するだらう。どだい仮名遣なんてとっくの昔に破綻してゐて、それはもうどうしようもない事だと私は思ってゐる。
理屈や主張は分るけど読みにくい、といふ立場を私は認めてゐるし、本家や、雑記でも最近の記事は現代仮名遣で書く事もある。しかし、やっぱり現代仮名遣はをかしい、といふ私の立場は変はらない。誰かにかう書くべきなんて言ふつもりはないが、それが私の些細な「主張」である。
……それにしても、漢字や仮名遣のことになると、何故人はやたらと嘲笑的になるのだらう。言葉なんて文化の根本的な所なのに、その根本を論って人を嘲笑ふ。本当に嫌な話だと思ふ。
*1:闇黒日記 平成二十一年三月十五日