道徳的潔癖症について
前の記事が長くなったので日を変へる。が、いまいちまとまらない。
はてな界隈で言へば例の「落書き問題」や「おっさん氏の問題」だし、東方界隈は元々潔癖性の人多いし*2、さらに外へ目を向ければごろごろ。
先日「ネットイナゴは現代の王蟲かも」みたいな話を書いたが、ある意味日本中が一億総王蟲化してゐるのかも知れない。まあ一億総は言ひ過ぎとしても、どんどん増えてきてゐるやうな気はする。
ネット以外の場所では、風の谷に王蟲を嗾けたペジテ人の役はマスコミが担ってゐる。ネットでは一部のねらーとか一部のはてブ民とか一部のモヒカン族*3などが王蟲兼誘導役をしてゐる様だ。ある意味モンスター・ペアレントやクレーマーと呼ばれる人たちにも、道徳的潔癖症を抱へ込んでゐる人たちが多いのではないだらうか。
王蟲に蹂躙された結果が、医療過疎地とか閉鎖的な界隈といふのはあまりにも哀しい。腐海に沈んだ大地は必要な毒すらも無毒化し、人をも住めない様な清浄の地を創り出す。まさに白河の水*4といふわけだ。
だが一方で、ナウシカはその朝が来るなら私たちはその朝に向かって生きよう。私たちは血を吐きつつ繰り返し繰り返しその朝をこえてとぶ鳥だ!
と叫んだ。道義的潔癖と不感の合間に揺れながらも、そこに安住せずに少しづつ世界を良くする努力は惜しむべきでないと思ふ。
うーん、まとまらない。
それと同じ話がすぐに適用できるわけではないが、馬鹿なクレーマーは他の客を不幸にする。 - 想像力はベッドルームと路上からとかそれに対する村民の反応を見てゐると、「怒鳴ったおっさんもおっさんだが、その不快感をおっさんの知らないところでねちねち書くお前もどーよ」っていふ必殺「オマエモナー」メソッド*5が発動して終了。といふのもどうかなと思った。
オマエモナーメソッド*6は大変に便利だが、相手の経緯や立場のみで否定したり、或いは論理的矛楯を指摘しただけで思考が止まってしまふことが多い。「あいつが言ふのも変な話だが、まあ言ってゐることは正しいよなあ」とちゃんと思考を止めないやうにしたいものである。
まあ、あまり突き詰めていくとどうしても思考が尖ってくるので、たまにエロゲーでもやって和
むのも重要か。
……と、ここで神主の言葉をSTG関係ないのに持ってきたところで、ふと、神主の大昔の日記*7に「バランス調整という振り子」といふ話があったことを思ひ出す。
簡単だなぁ→大幅に難しくする
次の日プレイ→難しいなぁ→大幅に簡単にする
以下ループこの大幅な難易度の調整は一見無意味のように見えるが、実はベストのバランスに落ち着けるためにわざとふり幅を大きくしているに過ぎない。
人の中のバランスのベストの位置は、少なからず現在の難易度に影響されてしまう。
その為、少しずつバランスを変更すると自分のベストの位置も引っ張られ、最初の位置と異なる場所に移行、つまりエスカレートしてしまうのである。
その為、本当に丁度良いバランスにしたければ、必ずベストの位置を飛び越えるように繰り返し調整する必要がある。バランス調整は錆びた振り子の様なものだと思う。
錘を小さくしてゆっくり傾けていけば傾いたまま止まってしまうが、錘を重くして思いっきり振ってやれば最後には真ん中で安定する。だからどうしてもバランス調整は時間がかかってしまう。
今は、色々な価値観のバランスを再調整すべき時期に来てゐるのかも知れない。