十三周年

今日は1月18日で、昨日は1月17日。Webでものを書くようになってから毎年のやうに言及してきたが、阪神大震災から13年目である。

激甚災害地区(震度は資料によって7だったり6強だったり、よくわらかない)に住んでゐたものの、親類の誰も死なず、建屋被害もみな一部損壊や半壊程度で済んだ私にとって、地震とは小さい頃(小学生)に起った大きな災害、といふ認識でしかなく、年々思ひ出として風化しつつある。

尤も、子供とはいかなる時いかなる場所においても楽しく遊んでゐるのがある意味仕事だと思ふから、それに対して悔恨などは全くない。ただ、今ならもっと自分に出来ることがあっただらうなとは思ふ。

何が出来るだろう? ボランティアか? 余程のことがない限り会社を捨てて社会奉仕には出ないと思ふ。それが仕事だから。出来るとすれば寄付か。昨年の中越地震で結局一銭も出さなかった自分が何を言ふ? 全くその通り。項垂れるしかない。かういふ後味の悪い反省はしたくないものである。

ちなみに、当時住んでゐた市営住宅は被害調査で『半壊認定』を受けたのだが、ほんのささやかな部分修正をしたのみで、現在も人が住んでゐる。部屋の壁には細かいひび割れがいくつも走ってゐて、柱の歪みも酷かった。多分、次に同じ規模の地震がくれば間違ひなく潰れると思ふ*1が、建て替への話はさっぱり聞かない。住民の高齢者比率は年々増すばかりで、自治会運営も摩擦と無関心で行き詰まってゐた。寂しいばかり。

一日遅れの追悼と反省の記事。

*1:似たような(あるいはもっと酷い)市営住宅は幾つもある。建て直すとなるとその間の住居問題や家賃高騰などがあるから、手の施しようもないのが実情だらうと思ふ