幻想郷と三つの結界
幻想郷ってかういふ雰囲気の場所なのかも知れない。少女が見た日本の原風景といふか、神々が恋した幻想郷といふか。
そんなことを思ひながら、幻想郷の結界のことを考へてみた。
稗田 阿求によると、世界には「物理の層」と「心理の層」と「記憶の層」の三つの層があるらしい*1。物理の層が物理法則で、心理の層が結果の解釈、記憶の層は確率の操作を行ふさうだ。
であるならば、私は、幻想郷を創る『結界』も三つの層に分かれてゐると思ふ。幻想郷縁起では、幻想郷は二つの結界によって成り立つと説明されてゐる。一つは物理的な「博麗大結界」*2であり、これによって幻想郷は容易に出入りすることが出来ない。そしてもう一つが心理的な「常識と非常識の境界」「幻と実体の境界」*3であり、外の世界で幻(≒非常識)となったものが幻想入りする仕組みを生む。
だが、それだけでは人々の努力によってねじ変へた悪しき非常識をも、幻想郷に流れ込むこととなる。それでは、あの平和ボケした世界を説明出来ないのではないだらうか。
実のところ、古き良き時代といふのは、初めから幻想のものであると思ふ。良き時代と悪しき時代は、今まさに「重なり合って」存在してゐる。そして時の流れと共に「記憶」が都合の良い事実のみを選びとることで、追憶の時代は常に良きものとなるのだ。
だから幻想郷には、悪しき存在や風習は存在しない。幻想郷がああも平和ボケした理想の楽園であるのは、外の世界の人々による「懐古の結界」が存在するからなのだ*4
……といふ説はどうかしら?*5